心が折れる

結局、結婚もできないし、恋愛もできないし、友達だってできない。何にも手に入らないし、誰かに何かを与えることもできない。堂々巡りで一歩も進まない状態で何年も何年もずっと1人で同じ場所にいる。

 

このまま、死ぬまでの間、たっぷりと喪失感と無力感と失望感、苛立ちや怒り、屈辱や悔しさ、そして理由のない攻撃を味わっていくのかと思うと辛い。

 

死にたいとは思うけれど、何の痕跡も残さずに綺麗に存在を消すこともできない。ジワジワと疲弊して傷付いては、ただ生きるために自己治癒して、また傷付いてを繰り返すだけ。

 

誰かに愛して欲しいし、愛したい。厨二病の歌詞みたいな言葉だけど、本当に欲しいのはこれだと思う。

 

1人で生きるのは麻痺して何も感じないけれど、それでも誰かに、チャカしたりしないで優しく受け入れて欲しい、自分を特別な存在と感じて欲しい、傷付いた時や不安な時に話を聞いてもらって一緒にいて欲しいと思う気持ちが心の中にある。

 

例えば宝クジでも当たって何億円も手に入ったら、こうした手に入らないものを「代わりを得られた」って諦められるのだろうか。まぁ何にもない今より遥かにマシではあるけれど、きっと死にたいと思うことに変わりはないと思う。高いマンションの部屋で酒飲んでタバコ吸って今と同じように寂しさで苦しくなってる姿は容易に想像がつく。

 

逆に自分を愛してそばにいてくれる人がいたら、必要以上のお金なんて無くても死にたいとは思わないんだろう。別に今の環境でそういう人がいてくれたら十分幸せになれそうだと思うから。別に高級マンションじゃ無くても、賃貸の部屋でも何でも、いっしょに話したり抱き合っていられたらその場所が一番快適だし、物質的な物が間に入る余地ってあまりないと思う。

 

というか、本当に欲しい物って何かわからなくなる。自分を愛してくれる特別な人がいて、その人の温もりを感じたり、匂いに包まれるのは価値のある幸せなことだって言えるけれど、ブランド品も、家電製品も、時計や服も確かに幸せを与えてはくれるけれど、心の芯まで本当に満たしてくれはしない。本能では無く脳が感じる(頭で考えた)幸せという気がする。

 

結構そうした物では冷え切った魂や体の芯は温かくなれない。逆に物質で精神的に自分を満たすことができるのならそうなりたい。そういう吹っ切れてる方が多少なりとも生きやすいのではないのだろうか。でも、なりたいと思って他人なれるわけじゃないからどうしようもない。