人から分かる不幸がいいのか、人には分からない不幸がいいのか。

ネットで、ある日突然不治の病にかかり徐々に体の自由が奪われて寝たきりとなる人の話を見た。つまり、それまでのいわゆる「普通の人生」から一変した人の話。

 

年齢が自分と同じ世代だったこともあって色々と気になった。病気前の幸せな部分、例えば結婚していて、子供もいて、仕事もしていて、尚且つ友達もいてっていう状態から、病気後の体の自由が徐々に奪われてそして今後治ることがないという絶望、お金や家族に対する責任への葛藤という暗転はキツイだろうなっていうのは思う。

 

ただ、なんだろう、彼自体に対してどうこうというのではなく。やっぱり病気前も病気後も自分とは違う向こう側の世界の人なんだと思った。

 

彼の場合、誰の目から見ても一目で「病気である」ってことがわかるので、同情や手を差し伸べてくれる人がいる。テレビに出れば注目され、友人知人に同情され、福祉制度の支援も得られる。

 

一方で、自分の場合は誰にも相談できない、理解してもらえない、知られてはいけない、いい歳をしてもその事で人前で笑いものにされる、ましてや公的支援なんて1つもない。

 

人から分かる不幸がいいのか、人には分からない不幸がいいのか。まぁどっちも当てはまらないのがいいんだと思うけれど、少なくとも人から分かる不幸であれば他人から攻撃を受けることはないからその意味では楽かもね。。。

 

まぁ結局、病気になったからって仏のような善人になるわけでも、急に世界の真理を理解するわけでもない。他人は他人というのは変わらないし、病気になる前であれば別に特段好意を持つタイプのグループの人間ではなかったと思う。

 

結局、それぞれ自分の人生を死ぬ時までは生きていかざるを得ないのだと思う。病気じゃなくても死ぬほどキツイ人生もあるしね。。。