ホームアローン

最近テレビでホームアローンを見た。

子供の頃からテレビでやっているので、みんなと同じでよく見ていたし好きな映画だけれど、最近はほんの少し見方が変わってしまったかも。

昔は、単純に正義側の男の子が、悪役の泥棒を懲らしめる単純なコメディとして見れていたし、もちろん正義側の男の子視点で見ていた。

だけど、よく考えてみればあの男の子って家族や兄弟などの「家庭」に恵まれてるし、何よりもあんな豪邸に住んで年末には家族でパリやフロリダに出かけられる「お金持ちの子供」なんだよね。

それに比べると、あの泥棒二人組ってお金にも困っていて、お互いが唯一の相棒だし、何より性根までは腐って無い事に気づいて、どうしても少し肩入れしてしまう。

何だか、生まれながらに恵まれた者が、持たざる者に上から目線で正義の押し付けや、施しをしているシーンがちらほらと垣間見れてしまって、昔のように純粋に正義側の視点で見れない。

こういう、被害妄想と言うか、ジョーカー的な考え方が自分にとって良い結果をもたらさないだろうって事は何となく感じる。ニュース見てたって、そんな犯人がたくさんいるから。

人間の怒りって、はたから見たら理不尽だったり、筋が通ってないように見えても、当人からして見たら「自分の利益や権利を侵害された」って思ってることが多いと思う。羅生門では無いけれど、人間が「悪い事である」って認識している行動を取るには、「これは悪い事だが、〇〇だからしょうがない事である」っていう、自分の中での免罪符、背景、条件が絶対にあると感じる。

あいつらと同じくらい、いやそれ以上に頑張っているのに報われない自分、失礼な態度で自分に接してくる奴、運があっただけなのに自分の方が上だと思ってる奴、そんなこんなで自分が行動を理性で制御出来ない、しないのは相手にも責任があるっていう反撃の理論はきっと本来誰でも成り立つと思う。

逆を言えば、人は生きてるだけで罪っていう部分があって、自分もある日突然誰かに恨みを持たれることもあるんだと思う。