その後

実家問題は結局毎月いくらか援助することで一旦沈静化。

やっぱり、その場で自分の意見や反論をしないで距離を置くのが正解だった。

 

お金出すのは、自分の生活に影響のない範囲で受け入れればそこまでストレスにはならなかった。

 

それよりも驚いたのが、例え微々たる額でも「誰かのために働いている」って感覚が逆に仕事や生きることに気楽さをもたらしたこと。

 

今まで、家族を持って養ってる人って、1人で生きる事プラスアルファの重荷を背負ってるって勘違いしていた。

 

でも、真逆だった。1人で自分のために生きるのではなく誰かのために働くって、自分の人生の重荷を誰かに転嫁してるって事だった。〇〇のために稼ぐとか、〇〇の為に我慢するって思えば目の前の現実に面と向かって対峙しなくて済むし、真面目に考える事から「正当な理由をつけて逃げ出せる」。

 

よく考えたらそりゃそうだよ。20代でみんなギラギラして上を目指してた頃からだんだん周りが保守的になって、言い方は悪いけど手を抜いて生き出した。それが大人になるみたいに納得してたけど、結局自分自身の人生の重みみたいな物を、他人の為に働くっていう、ある意味「口実」を見つけたんだから。他人に頼られる事で自分の役割や存在を簡素化する、ある意味で関係性への依存。

 

独立した個人という存在で居続けるのは孤独で厳しい事だから、みんなそうやって生きてる。自分もそういうふうに楽して行きたい気持ちは正直あるし、立場が逆ならそうして生きていたと思う。

 

孤独であることの強みみたいなことってなんなんだろう。

 

どちらが正解かわからない。