苦しみの種類

留学中から帰国にかけては、もともと現地で就職が決まっていたのに、ビザの取得がコロナでダメになったり、帰国してから自分が自信を持っていたほど現実には仕事がなかなか決まらなかったりと、本当に路上生活一歩手前ギリギリだった。実家には帰れないし、今思えば東京で身寄りも友達もなく、自分の「何とかなる」っていう精神力だけで良く持ち堪えたなと思う。。。

そんな中、期待していた「ここは大丈夫だろう」という会社に受からず、また一から応募→面接→結果待ちという手順を踏まなくてはいけなくなった時(最短1ヶ月は無職、無収入が確定)に、神社の木を見て本気で死ぬしかない、あの木のあの部分で首を括って死にたいと思った。

ただ、その後運良く(ありがたいことに)前職の縁で今の仕事に何とかありつけ、お金の面での本当に逼迫した事態からは脱することができたし、今日明日家のない路上生活になるかもしれないという危機からは、取り敢えず脱することができた。反動でブランドものやPS5も買った。

それから3年ほど経つ今、果たして幸せかといえば、全然幸せではない。あの時、神社の木で首を吊りたいと思ったのとは理由は違うけど同じくらい死んでしまいたいと思ってる。こんな事言うのは、ばちあたりなのかも知らないけれど、これが嘘偽りない今の現状。というか、帰国して日本の日常にまた戻った事で、自分の抱えている解決しようがない問題に再度向かい合わざるを得なくなった。

すなわち自分がゲイであり社会から受け入れられない存在である事、皆んなが当たり前に経験したことを経験していない事、特殊であるが故に必要のない恥をかき馬鹿にされてきたこと、たくさん大切な人に迷惑をかけてきた事、親が期待していたであろう事を何一つしてあげられないこと。そして何よりも、そんな冷酷な現実が変えようの無い目の前の現実であること。

留学中はもっと現実的な、今日明日の問題を処理し続けることで、ある意味自分自身の内面に備わった、こうした本質的な問題から目を逸らすことができていた。それに、異国の地で外国人という立場であれば他人との精神的な繋がりも距離を取ることができた。だけど、また元の生活、日本人のコミュニティに戻ったことで、問題に目を向けざるを得ないし、またコミュニティから「お前は違う」と攻撃を受けていると感じる。

例えば、道を歩くカップルの女がすれ違いざまに道を譲ろうともしないのを見ると、自分の方が全てにおいて優れているという、優越感、傲慢さを感じてしまう。

店員の態度が少しでも横柄なら、自分の権利が侵害されて攻撃を受けていると感じる。

過去の出来事、他人の反応も今から考えると、自分を馬鹿にしていた、自分を下に見ていた、自分を変えようとしていた(ありのままの自分の拒絶)と感じる。

日本に戻って生活が安定したことで、一度は回復に向かった精神状態(主に経済問題に起因する)が、また悪化していっている。どうすれば良いのか、決定的に打つ手がない、希望なんて全く無いまま、また一つ年をとった。

子供の頃は誕生日はただただ嬉しい楽しいだけの特別な日だった。ケーキを買ってもらって、小さい頃はプレゼントも貰えた。20代は家族以外に祝ってくれる恋人や友達が居ないのが寂しかったけど、仕事のことを考えてやり過ごせた。30代になったら絶望が続いた長さが増える日、必要とする物を得られなかった時間の長さを表す日、周りから当然期待されるハードルの高さが上がるだけの日になった。

誕生日が来て数字(ハードル)が上がるのが怖い、年齢を告げて相手がびっくりするのを見たく無い(自分が世間一般の普通とはかけ離れているのを突きつけられるから)。また一つ人生の難易度が上がるのが怖い。

そう考えると、親には決して言えないけれど、生まれた日である誕生日は死にたい日になった。

絶望的に解決策のない日常を死んだように生きていて、そしてその苦しみや不毛な戦いがこれから先も続いていくと考えると、死ぬことだけが唯一の救済だと思える。

今は、それでも「死にたい」って考えることに少しばかりの背徳感はある。だって、まだ親も生きているし、親が期待するのは生を楽しむ、社会で受け入れられた幸せな我が子だと思うから。でも、親がいなくなったら今の自分に生きるためのストッパーなんてない気がする。神社で死のうと来た時みたいに、ギリギリのところで動物としての本能で生かされるのだろうとは思う。だとすると、理性も何もない動物的な生に意味なんてないし、今よりもっと死を得るための方法を探す未来しか見えないし、これだけ戦ったのだから自分の死ぬ権利をもっと強く意識するようになるだろう。