お金の使い方

宝くじ、当たって欲しいとは思う。だって今の経済状況では自分のこの先のことが不安だから。40近くなってもう時の経つ速度がどんどん速くなる。この間30前半だったのにもう40。

 

でも、自分の精神状態や実家の状況からすると、大金を手に入れても決して長期的に見て賢い使い方なんてできない。

 

きっと心を満たすためにエルメスだの、バカラだの、ベルルッティだの、カルティエだのを買うだろう。実家の問題を何とかしようとして結局余計な事をしてしまうだろう。よくわかってないまま投資に大金を注ぎ込むだろう。

 

破滅的な使い方をするのは目に見えてる。自分が賢くない事は過去の行動から証明されてる。お金があったらあったで新たな火種が生まれる。

 

当たらなくても地獄、当たっても地獄。当たらない方が平和、当たっても平和。

 

正直、不安の解消なら家さえあれば十分なのかも知れない。

 

自分の身の丈に似合わないブランド品、コンビニくらいしか付けるタイミングのない時計、飾るセンスもない装飾品、余計なことをして事態を悪くする事。変わらない現実世界。

 

 

 

 

想像の限界

家を買った想像もそろそろ限界になってきた。部屋のインテリアから、近所のお店まで完全に想像して手に取るように分かる。何なら契約から入居まで想像済み。

 

こうなってくるともうワクワク出来ない。そこに住んでも果たして幸せになれるのか疑問が出てくる。家を手に入れても幸せになれないんじゃないか、お金の使い方として正しいのか、間違ったお金の使い方しかできないんじゃないか、今あるこの痛みを消してくれないんじゃないか。

 

おもちゃに飽きるみたいにあのマンションの想像もそろそろ限界かも知れない。

 

地元には居場所は無くなった。東京でも外では傷つけらららばかり、子供の頃の最初の家のような守られた世界が欲しい。外の世界が相対的に影響力を無くすような、安全で、自分が守られていて、肯定される絶対の空間。外の世界の酷いことも、そこにさえ戻れば守られるそんな場所が世界中に一つだけ欲しい。、

 

 

 

 

 

 

家に必要な物

相変わらず自分の家を買う夢を見てる。

 

家の中の家具の配置は決まったけれど何となく「足りない」感じがする。家具や家電を最新のいいものに変えても足りない。

 

今の気持ちを整理すると、家に求めているのは外界から完全に自分を守ってくれる「安心感」や、溢れ出る不安感を「癒してくれる」精神的な家なんだと思う。

 

YouTubeで生活感があって、気持ちの落ち着く安心感のある部屋が出てくるドラマだったりを見てるのはそのせい。

 

単に物を並べただけでは足りない。物理的な家だけでは足りない。

 

どうしたら安心できるのか。壁の色を白ではなく好きなブルー系にして空間の雰囲気を外界から完全に切り替えたらいいのか、近所に行きつけのお店や、顔見知りの人たちが居たら安心できるのか。外には付けて出なくても、気に入った高級な時計や小物が沢山家の中に溢れてればいいのか。

 

ここにいれば傷つけられることはない、ここは自分の所有している場所である、ここにいれば癒すことができる、ここには恒久的に居続けられる。そう思える場所が必要。

 

 

 

 

 

衣食住の先にあるモノ

取り敢えずずっと家が欲しいことには変わりない。衣や食に対しては今の社会では簡単に質の良いものが安く手に入るから既にある程度満足している。

 

東京で大手デベロッパーのマンションで、場所の利便性が良ければそれ以上のこだわりなんてない。

 

とにかく住を手に入れて、生活の基礎と呼ばれる衣食住の安定が欲しい。これがなければ人生が崩れる不安から逃れられない。お金に縛られる人生から逃れられない。

 

その先に欲しくなるものを考えて見た。基本的な物を手に入れたら人は何が次に欲しくなるのか。

 

名誉、権力、名声、優越、つまり自分は抜きん出た存在で、人に影響を与え、ヒトを従えていると言うことを実感したくなるのだと思う。

 

テレビに出てくる資産家などは大概がこの方向に進む。

 

でもそれがよくわからない、想像がつかない。衣食住=安心が足りなくて渇望する気持ちは分かる。

 

だけどようやく安心を手に入れられても、今度は別のものを求めてまた枯渇する。

 

人が人の上に立とうとすれば、自分の欲を突き詰めようとすれば悪人になるしかないとも思う。バランスを取れる、幸せにならたい気持ちと幸せにならない気持ちのバランスが取れてる状況が一番良いのではないかと感じた。

情報の遮断

昔は普通に朝のニュース番組を見ていたけれど、最近は意識して見ないようにしている。

 

見たくもない映像、聞きたくもないニュース、はっきり言って見ることによるデメリットの方がはるかに大きくて、「さあ今日も一日頑張ろう」みたいなポジティブな気持ちになれなくなるから。

 

朝だけではなくて、普段もテレビは見なくなった。情報を自分たちで選べる時代に、あえて見たくもない物を一方的に見させられるのは単なる苦痛でしかない。テレビで見るとしても、予約機能で映画とか特定の番組を予約しておいて、不要な部分、不快な部分は見る時にはスキップしてる。

 

災害時、特に地震のニュースも意識して見ないようにしている。地震って起こった事はテレビで言われなくても知ってるわけで、「発生後のニュース」なんてアナウンサーがヒステリックにおんなじ事を繰り返してるだけで、自分にとっては不用意に感情を煽って冷静な判断の邪魔をする物でしかない。

 

本当に必要な情報は、地震の起きた場所と規模。その地域における原発などの危険性の高い施設の被害状況、地震によるインフラ(電気、ガス、水道、通信)の状況、公的支援に関する情報の取得方法、被災地内、外部から被災地への連絡手段、そう言った「発生後の具体的な対策」では?

 

災害時みたいな、冷静さを失いやすい場面においてはいかに「不要な情報」を遮断するかの方が大事ではないだろうか?

 

積極的に注目して見るニュースなんてほとんどないけれど、しいてあげるなら身近な場所で起きた未解決の事件で自分にも被害が及ぶ可能性があり、動向が気になる物くらいではないだろうか。例えばテロだったり。

 

ただ、そうしたニュースも映像で感情的に訴えかけられるよりも、信頼できるソースから文字として簡潔に情報を得られる方が処理がしやすい。

 

 

 

お金が足りない

最近の趣味は、売り出し前の新築マンションの間取りを見て、そこを買って住んでいることを妄想すること。家具の配置や部屋の使い方、インテリアにカラーコーディネート。そこでの新しい生活を想像していると楽しい。家の中だけでなくて、マンションの近所をストリートビューで見て良さそうな喫茶店だったり飲食店を見たりもする。妄想が具体的なほど目を閉じるとそこに住んでいるような気分になれる。

 

玄関には今の家にある木製のベンチを置こうかとか、家具はこのブランドで揃えようとか、家電ならあのブランドで統一してみようとか、カラーコーディネートは3色以内で押さえてグレーとネイビーと白がいいなとか、玄関はやっぱりリモート(スマート)キーに憧れる。(これはよく考えないといけないが)猫ももう一度飼ってみたい。3LDKだと一部屋余るけどあえて使い道を決めないでそこは余裕として残しておくのが最高の贅沢だなとか、でも備蓄倉庫にするのもいいなとか、夏は朝起きてバルコニーでゆっくりコーヒー飲んでタバコ吸いたいし、ガーデニングも少ししてみたい。チェーン店の方が今は入りやすくて落ち着くけれど、家を買ったとしたら近所の個人店のお店にも頑張って少しづつ挑戦してみたいし、なるべくきちんと同じマンションの人には愛想良くしたいなとか。近所に慣れたら今度はそこから電車で行けるもっと都心の繁華街も攻略してみたいなとか。

 

現実的になればものすごい空しい妄想だけど、、、都内の新築マンションで利便性がそこそこいいところは1億近いから妄想する事しかできない。現実に手に入れることなんて考えられない。いくら20代の頃と比較して給料が上がったと言っても、貯金や資産があるわけでもないし、誰かと費用を分担できるわけでも、親から援助があるわけでもない。ただの地方から出てきた何も持たない人間が買えるような金額ではない。。。

 

前みたいに、漫画に出てくるような金持ちの家に住みたいわけではない。タワマンとかも色々とデメリットが多いこともわかったし、自分が安心して暮らせる居心地のいい場所ではないと思うから。

 

今住みたい(買いたい)のは、そこそこの広さで、そこそこの値段で、そこそこ利便性が良くて、今いる場所から割と近いマンション。地縁も住みたい場所もないから、今の環境の延長線上で安心できる住まいが欲しい。志村けんのコントに出てくるような下町っぽい「普通の家」がいい。そして、その土地で生活を根付かせていきたい。「その土地の人」になりたい。

 

子供の頃、志村けんのコントに出てくるような家だったり、サザエさんに出てくるような生活て特段裕福でもない実現可能な現実だと思っていた。悪い事をせずに、普通に仕事を頑張っていたらみんなが到達できる幸せ。現実はそんな事ない。運良く普通とされている以上の給料を手に入れられていても、スタートラインの位置や、持って生まれた資産みたいなものがなければ到底到達できないし、子供の頃に考えていた普通の頑張りではまさに生き地獄のような境遇になってしまうほど残酷な世界。

 

そんな想像をしているうちにどんどん歳だけはとる。想像でその土地、そのマンションに住んで生活しているのは今の自分なのに、目を開けたら年老いて今よりも状況が悪くなっている自分に気づくような虚しさを感じる。

 

でも、想像以外にできることがない。年収が1000万単位で急に上がる事なんてないし、貯金や資産が寝て起きたら増えていることもない。急に才能に目覚めることもない。給料を貯金して老後の不安に備えることを「しなくてはいけない」生活。毎月の給料で好きなものを好きなだけ買うこともできないし、本当に欲しいものを買うにはお金が足りない。

 

小学校5年生で自分の家が他人に買われて、全く見ず知らずの人が自分の家を我が物と(子供の視点では)する光景を目の当たりにしてから、本当の居場所、自分の家、自分の土地が欲しい。不幸の始まりの象徴が家を失ったことだから。死ぬ間際に田舎のボロくて小さい家中古の家を買っても意味ないんだよ。今、この瞬間に家が欲しいんだよ。将来の不安に対処するためだけに生きているのかと思うと生きている意味が見出せない。

 

想像力だけが一種の癒しを与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金回りのいい時にしておいて良かったこと

子供の頃から社会に出てもしばらく、お金に対して渇望感のある生活をしてきたからか、少しばかり金回りが良くなった時に反動のようにお金を使ってきた。とは言っても、自制心や罪悪感もあるのであくまで使える範囲でと言うことで。

 

今は5年でNISAを完了させたいので、一月の枠を決めてお金を使うようにしたいと思ってる。そうなると、どこかしら支出にも制限をかけなくてはいけない。辞める事はしないけれど、予算に収まるように「少しの我慢」はしなくてはいけない。

 

そんな状況なので、10万以上の買い物をポンポンできないけれど、今まで買ってきたものがあるから買わなくて済むものもある。

 

革靴、革のバック、アップル製品、ブランドの小物、オーダーのシャツ、ダウンコート、高級な文房具、食器にグラス、海外旅行。

 

備蓄ではないけれど、「もう持ってるから買わなくていいや」って思えるのが支出を抑えてくれている。永遠に持つものではないけれど長く使えるものにお金を使っておいて良かったと思う。旅行に関しても20代の時に近場とはいえ行きまくっておいて良かったと思う。